10、ピカソの《ゲルニカ》

スペイン内乱の最中の1937年、パリの万国博覧会スペイン館の壁画を共和国政府から依頼されていたピカソは、この事件に心の芯から憤怒にかられ、強烈に反応した。
 ゲルニカの爆撃が報道機関によって伝えられると、フランコ反乱軍に対する非難の声が世界中で巻き起こったのに対し、フランコ側は「ゲルニカで都市を破壊し、子どもや尼僧まで殺傷したのは、我々に敵対するバスク民族主義者やアナーキストの犯行であり、ゲルニカ爆撃は捏造である」と、謀略宣伝に努めたのであったが。
 ピカソは5月1日、事件を知ってから一週間が経つか経たないうちに《ゲルニカ》制作に着手し、1ヶ月の間不眠不