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よくあるご質問

3、大原美術館と児島虎次郎

今回の旅の大きな楽しみのひとつにしていた大原美術館のことを、さらりと記しただけでは何か気の抜けたようで、もう少し書き留めておこうと思う。
 大原美術館は1930年、大原孫三郎によって児島虎次郎を記念して作られたものであった。今年がちょうど80周年になるが、10年前の創立70周年を記念して『大原美術館紀要』が編まれた。今回、その『紀要』と『大原美術館?=児島虎次郎』の画集を求めた。『紀要』は、B5版242頁で「大原美術館コレクションの起源」と題した武蔵野美術大学芸術文化学科 岡部あおみ教授の論文と、102点の作品解説が140頁に亘り、作品番号、タイトル、制作年代、技法、寸法、署名、何時どのように幾らで入手したのかの来歴、参考文献、関連作品などが記されていて、論文は元々フランス語で書かれたドクター論文を翻訳したもの。
 1980年の初めから、作品の写真を手にパリにあるさまざまな図書館や資料室を当り、作品の図版や解説文、書籍や展覧会図録などを調べ、領収書を探しそのメモを読み取るなど、地道で大変な労力を要する作業を経て編まれた紀要であった。

 大原孫三郎(1880-1943)は大地主であり、倉敷紡績の会長であり、銀行、不動産、鉄道、新聞社等多彩な事業を展開する一方で、社会問題と芸術メセナに熱心な実業家であった。日清・日露戦争後、日本は大財閥の拡大と独占、資本主義化へと突き進む。かつての家族の尊厳と伝統の上に成り立っていた社会序列の尺度に、貧富の差が陰を落としていた。
 兄・姉二人ずつの5人兄弟の末っ子の甘えん坊であった孫三郎は、明治30年東京専門学校(現早稲田大学)に入学し、早くも公害などの社会問題に興味を示すが、すぐに放逸な生活を送るようになり、放蕩の末に巨額の借金(15,000円―当時の生活費は一月15円であった)をつくる。長姉の夫(原邦三郎)はこの借金清算に奔走している最中に急逝。このとき義兄が友人らと奨学金の創設を思いつき、孫三郎の父(孝四郎)は喜んで出資する。孫三郎は義兄の死後この仕事を継いで財団法人化したが、約20年間にこの奨学金の恩恵を受けたのは数百人にのぼるが、孫三郎は義兄の死を心底悲しみ、「社会から得た利益は社会に還元しなければならない」との自覚に至ったのであった。
 孫三郎は1899年、孤児院を経営していたキリスト者石井十次と出会い、自らもキリスト教に帰依する。石井十次は宮崎県下の下級武士の家に生まれ、岡山の医学校に入学。キリスト教の洗礼を受ける。1887年妻と共に寺の一室を借り、「孤児教育会(後の岡山孤児院)」を設立。後に1000人を越す大施設となり、わが国の児童養護施設の先駆けとなった。
 また北海道に関係あるものとして、岡山県に生まれた留岡幸助のことも書き加えたい。
 同志社大学に学んで収監所の教戒師となり、米留学の後、非行の問題を抱える児童を対象とした巣鴨家庭学校を創設。1914年遠軽町に北海道家庭学校を創設する。後を継いだご子息の留岡清男先生に、私は仕事上原稿をお願いしたことがあり、戴いた手紙は大事にとってある。
 留岡幸助の生涯は、高瀬善夫著『一路白頭二到ル』岩波新書に語られている。
 さらに現在の民生児童委員制度の元となったといわれる「済世顧問制度」は、大正6年に笠井信一岡山県知事によって創設されている。「済世」とは、荘子の言葉で「世の弊害を除き、人民をすくいたすけること」(『広辞苑』)とある。
 この時代、岡山県にこうした社会福祉事業が数々創設されているのは、決して偶然ではないように私には思える。

 さて、児島虎次郎は倉敷近郊の旅館業を営む家庭に生まれ、東京美術学校の学生だった22歳のとき大原孝四郎と孫三郎に出会う。二人はこの若い画家の才能と情熱、実直な人格を高く評価し、幼少の頃より孤児のように育った児島を柔軟かつ有効な後継というかたちで援助した。
 そしてこのメセナは画家の死まで続き、美術館の創設において結実する。
 1907年、児島は卒業時に恩師黒田清輝に進められ、勧業博覧会美術展に2点出品するが、その一点「なさけの庭」は石井十次の孤児院の光景を描いたもので、1等賞を受け、皇后陛下のお気に召して宮内庁買い上げとなった。
 この成功に喜んだ孫三郎は、児島にヨーロッパに5年間の絵画修行に出ることを勧めた。1912年、児島は彼の師となったアマン・ジャンの作品など2点を買って帰国。
 翌年、孫三郎の仲人で石井十次の娘と結婚する。
 その後、一時制作に行き詰まった児島を見て、孫三郎は2年間ヨーロッパに戻ることを勧めるとともに、児島の進言を受け入れて西洋美術の蒐集を決断したのであった。
 前回示したエル・グレコの「受胎告知」は、1922年11月2日、150,000フランで購入した最も高価な作品で、孫三郎の了解を得て購入している。近年領収書も発見された。

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