35、ゲーテ正式に結婚する

ゲーテは1788年6月18日、長いイタリア旅行からヴァイマルに帰ってきた。
 アウグスト公の理解によって位階や肩書きはそのままで、イルメナウ鉱山委員会と絵画学校の主管者だけに留まり、従来の職務を免じられ雑務から解放された。
 ゲーテの著作権の面倒を見てくれた心の友ヘルダーが、ひと月後に入れ替わるようにイタリアに旅発ち、後を追うようにその20日後にアマーリア公母も旅立った。
 宮廷の大きな文化的な求心力が欠けた状態で、ゲーテも支えを外されたような精神状況であった。
 何よりゲーテに痛手であったのは、シュタイン夫人が冷淡な拒否的な態度で彼を迎えたことであった