亡父の百か日の法要で旭川に行って来ました
以前にも何度か書きましたが
私は中学を卒業してから
今日に至るまで親と暮らしたことがないので
普段の生活は
父が生きている時と何も変わっていません
そのせいか
単に私が薄情なせいなのか
正直、普段の生活の中では
父が亡くなったという実感もさほどないのです
ただ
実家に行き
父の遺影を見ながら仏壇に手を合わせる時
「あー、やっぱりいなくなったんだなぁー」
なんて、しみじみ思うのです
四十九日の法要の後
お坊さんが説法の中で
法要の意味合いについて語っていました
法要というのは
亡くなった人を偲