朝鮮半島と対馬の間の日本海を「朝鮮海峡」といいます。
古い話ですが、1592年四月15日、日本の軍船350余隻が釜山浦に押しよせました。「文禄・慶長の役」のはじまりです。
足かけ6年におよぶ朝鮮侵略で、秀吉は芥子粒ほど領土も得られませんでした。それよりも、多くの日本人将兵が朝鮮海峡に沈められております。
朝鮮海軍の総帥として活躍したのが、「李舜臣(イスンシン)」将軍です。亀船という鉄甲貼りの軍船にのり、多くの日本船を沈めました。
日本船は安宅船といい、長さ33メートル、幅12メートルもありながら竜骨を用いてないので、衝突されると簡単に崩壊