「早慶戦物語」⑤三原・水原の時代その2

今回は高松中時代の三原について述べる。
三原脩の甲子園戦績は2度も全国制覇した水原に較べて華々しさはなかった。しかし現代でも語り継がれるワンシーンを甲子園史に刻んでいる。

昭和3年春・夏とも甲子園に進んだ三原の高松中は春の大会では松本中の中島治康(プロ野球最初の三冠王)の剛球を打てず初戦で敗退した。しかし夏の大会、3番三原、4番梶原(東大の中心選手)、マネージャーは後の日本社会党委員長の成田知己で臨んだ高松中は準決勝で再度松本中と対戦した。

結果は「無情の雨」により、5回コールドゲームで惜敗した。三原を先頭に高松中は不満げな態度を誰一人見せる事なく、