25日の日記の末尾に
[悟りを追い求める自分はもういない。]
と書いたのだが、
その舌の根も乾かぬうちに
ふたたび
「悟りを追い求める」自分がいた。
さきほどの日記にも書いたが、
「生かされている自分」
「自分が生きているのではなく、
いのちが私を行きている」ということの
クリアな納得が欲しくて、
このところずっとそればかり考えていたが、
そうしたことも「悟りを追い求める」ことに他ならない。
読書や考えることが好きな人に陥りやすい
悪習慣の一つなのだろう。
なかなかこの煩悩からは抜け出せない。。。
カテゴリ:アート・文化