放浪記を読むより「林芙美子旧宅」(中井)に作家の息遣いを感ずる!

林芙美子が昭和16年(1941年)から亡くなる昭和26年(1951年)まで住んだ家。家の北側は広かったらしいが、現在は他の家が迫っている。一帯は比較的広い敷地の邸宅が連なっている。

箱根土地株式会社の堤康次郎が一帯の土地を買占め、宅地を造成して販売を始めたのが大正11年(1922年)。これが「目白文化村」の始まりとのこと。現在の中落合と西落合の一部、中井二丁目がそうだ。

その後の戦争で、一帯の多くの住宅は焼け出された。また、都市計画の新目白通りの建設で、目白文化村は縦断。宅地は細分化されてしまった。

多くの文化人がこの地に住んだ。
尾崎一雄、壺井栄