「第五福竜丸」展示館には「死の灰」や小百合さんが贈った花もあった

第五福竜丸は1954年3月1日、ビキニ環礁付近で操業中にアメリカが実施した水爆実験で被爆した。第五福竜丸は危険水域の外、爆心地から160キロメートルも離れていたのだが……。乗務員23名のうち半年後に1名が死亡している。

「第五福竜丸」展示館はこの5月に改修工事を終了し、展示が再開されたので訪問してみた。

小中学生の姿が多かった。整然と案内者の説明を聞いていた姿が印象に残った。第五福竜丸は巨大な木造船で、放射能が低減したあとは国が購入し、大学の練習先として使われていたと説明があった。その後、夢の島に捨てられていたが、保存運動が起こり現在に繋がっている。