幼少期からあまり良いとは言えない環境のなかで育ったためか、なにかと自分の特殊性や災難に理由をつけて、憐憫という感情にひたることが若い頃クセになっていた。
しかし年数を経るうちに、自分に対する憐憫の情など、自分の環境や生活を改善するうえで、なんの力も持っていないことがはっきりしてきて、なんだか醒めた。うずくまってそんなことに酔っている場合なのか、と気がついたのだ。
そう、自己憐憫などクダラナイとはっきりしたということで、そろそろと自分の力で歩みださないといけない、そんな現実が見えたということだ。
ある投資家は、自己憐憫に陥っている人に会うと、うやうや
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