連載:故郷の南志見城山物語

倶利伽羅峠の古戦跡を歩く/故郷の南志見城山物30

源平合戦の端緒となる倶利伽羅峠の戦い(1183年)に関して、ここが戦いの先端になったから中央とのかかわりも強く能登が栄えていたことの証になる。また、北國海道(北陸道)の要所地として津幡が栄える。

高井勝己氏によると奥能登の城郭などの館跡等は197か所あったこと。そして、以仁王の挙兵の治承4年(1180)に源頼政の打倒平氏挙兵に城郭土豪が呼応しているのだ。

古代かの能登について、古代エジプトの全盛期パラ王が存在したのが紀元前14世紀、そのころ能登も縄文文化地の一画として真脇遺跡(紀元前7000年から3000年)文化を継承する弥生期の稲作文化が大陸