「倶利伽羅峠の戦い」の日記一覧

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倶利伽羅不動寺/故郷の南志見城山物32

源平盛衰記に「高倉宮に仕え奉れる侍に長谷部信連あり、長兵衛尉と称す」とある。以仁王の侍長に補され、三条高倉宮に仕えたという。 長氏の惣領は現在の輪島付近で、南北朝時代には櫛比荘に、その後、穴水に移動したと伝えている。 応仁の乱後の長享元年(1487)、将軍足利義尚が近江の六角征伐のため軍を発し、そのおりの着到状に『長南志五郎左衛門』らが名を連ねている。 したがって、南志見長氏所縁が『長南志…

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倶利伽羅峠の古戦跡を歩く/故郷の南志見城山物30

源平合戦の端緒となる倶利伽羅峠の戦い(1183年)に関して、ここが戦いの先端になったから中央とのかかわりも強く能登が栄えていたことの証になる。また、北國海道(北陸道)の要所地として津幡が栄える。 高井勝己氏によると奥能登の城郭などの館跡等は197か所あったこと。そして、以仁王の挙兵の治承4年(1180)に源頼政の打倒平氏挙兵に城郭土豪が呼応しているのだ。 古代かの能登について、古代エジ…