連載:故郷の南志見城山物語

倶利伽羅不動寺/故郷の南志見城山物32

源平盛衰記に「高倉宮に仕え奉れる侍に長谷部信連あり、長兵衛尉と称す」とある。以仁王の侍長に補され、三条高倉宮に仕えたという。

長氏の惣領は現在の輪島付近で、南北朝時代には櫛比荘に、その後、穴水に移動したと伝えている。

応仁の乱後の長享元年(1487)、将軍足利義尚が近江の六角征伐のため軍を発し、そのおりの着到状に『長南志五郎左衛門』らが名を連ねている。

したがって、南志見長氏所縁が『長南志五郎左衛門』として、このも語りを展開している。また、情報には人の意思が伴うこと、歴史遺産のロマンがあってもよいと思うことにある。

そのためには、治承・寿永の乱は