連載:宗教2

わかるということの諸相 (自分のためのメモ)

お気に入りさんの日記に触れて、思い浮かんだことをふたたび書きます。

それは、「わかる」ということは、理解できるということなのですが、じつはそう簡単はことではないということです。知ってわかったと思うとき、それは頭の理解、概念的な理解という段階に至ったということです。

たとえばこんな3段論法があります。
・人間はすべて死ぬ
・自分は人間である
・したがって自分は死ぬ
人類史上、死ななかった人はいないと考えてよいので、数学的な論理の推論により、自分が死ぬことが結論付けられます。いつか自分も死ぬのだと、自分の死がわかったということになります。

でも、これは