日本橋より百里、ここが故郷・松島

江戸時代、江戸・日本橋より京都・三条大橋まで整備された63次の東海道は126里6丁1間で結ばれた。
西へ百里目が四日市市である。
東は、奥州街道、仙台を過ぎて吉岡宿(映画「殿利息でござる」で有名になった)を過ぎた大衡一里塚である。
今一つ、93里目の仙台から、松島が99里である。
隣の高城本郷が百里である。
宮城県立松島高校が建つ裏手になる。

来月、6-26日(金)に、日本橋より百里跡の一里塚標柱を建てる。
芭蕉が『おくの細道』で、元禄2年6月26日にここを歩いて石巻を目指したからである。ここを過ぎて東に2-3珀メートル歩くと、当時は海に浮かぶ「弁天嶋