連載:倭人伝の真実に迫る

24. 西晋と短里

前回、会稽東治は短里を使って海州の西、中国の南皮県から東南に7700里の場所と計算し、陳寿が理論武装をした、と書いた。では、この7700短里を西晋の人達は理解できたのだろうか。この点について『語録』という西晋代の史書に短里が使われていたことが古田史学会編の『邪馬壹国の歴史学』で紹介されていた。当時の西晋は短里を使っていたのである。ところで、短里の7700里はある意味爆弾でもある。もしかしたら、この7700里で「大どんでん返し」を陳寿は仕掛けていたのかもしれない。そこらあたりを考えてみる。

24.1 「鈍牛は一日三百里行く」
先ずは、西晋が短里を使ってい