連載:倭人伝の真実に迫る

30. 魏志の「里」(2) 236年以前

魏の景初(237~239)と正始(240~249)年代は陳寿が長里をぼかしており、短里を意識していた可能性が高いことがわかった。今回は明帝の改暦以前の「里」について見る。後漢代は長里だが魏建国(220年)以後は長短里が混在している。   
尚、ネットの「三国志原文検索」と前回に紹介したが正しくは「三国志全文検索」であり、日記を修正した。この「全文検索」で原文も見ることができて重宝しているが、「原文」が強く頭に残り、ついつい間違えてしまった。
 さて、236年以前の「里」は71例あった。そのうちAB2点間距離の記述は推測も含めて8例であり、長里5、短里2、