心はふらふらしているが、 身体はふらふらしていない。

生死一体の実感が欲しいと
ずっと考えてきて、
その愚かさに気づいたわけだが、

よくよく考えると、

生きたいというのは
自分に組み込まれている本能ともいえるので、
それを突破して
死の実感を得るということは、
超人に等しいくらい難しいことだと思う。
わたしはその難しいことをやろうとしていたのだ。

実感とか納得を元になにかを考えるというのは、
そうした危険をはらんでいるという事でもある。

そのところの事情を
妙好人の東じいさんという方が説明している。

「心というものは、わが欲とくっついていて
(真理を純粋に客観的に受け取れなくて)、
いつもふらつい