八上城址

八上城を歴史に残る城としたのは波多野秀治である。八上城主だった1576年(天正4年)黒井城を攻めていた明智光秀を裏切り、敵将赤井直正に加担した。結果光秀は命からがら敗走した。復讐に燃えた光秀は翌々年八上城を徹底した兵糧攻めにした。1年3ヶ月にも及び1579年3月八上城は落城した。尚黒井城は同年8月の落城である。1609年(慶長14年)廃城となった。

25日午前8時前に登城を始めた。八上山は標高459m、本丸は山頂にある。登山道はよく整備され危険個所は全くない。高度を上げるごとに雲海(朝霧)が四方に見事に広がっていた。曲輪跡などの標識も立っており縄張りが