自力だった

「おらは助からぬと決定したら
阿弥陀様は必ず助けると決定なされました。」

と告白した妙好人の庄松さんについて
考えているとき、
ふと次のような思いが浮かんだ。

仏心があるとわかって
すごく喜んだのだが、
それは自力の道具が見つかったと
喜んだだけではなかったのだろうか。

仏心という道具を使えば
いい人間になれる、楽になれるという
期待感万歳だったのだ。

以前宗教の先生にいわれていたこと

いい人間になるにはどうしたらいいのか
楽になるには・・といつも考えているのですね。

ということの意味が
いまはっきりとわかった。

ここに問題の深さがある。