「自力」の日記一覧

会員以外にも公開

大きないのちがわかることと阿弥陀への信心は相入れないのではないか

浄土真宗の教えによると 阿弥陀を信じることが大切だということだ。 死んだあとどうなるかわからない ただ、浄土へ連れて行ってあげるよという 阿弥陀の約束を信じることが信心であり それをもって往生ということだ。 ここで一つ疑問が湧いてくる。 私は自分のあり様について次のように考えている。 確固たる自分はなくて 刻一刻と変わっていく自分がいるだけということ。 無常であるがその背後に 生まれさせ生…

会員以外にも公開

これがなくても死なない

お気に入りさんが あるものを数えることについて 日記を書いておられた。 その筆頭に挙げられるのは いのちがあることだと結んでいた。 そうそう 自分はこのことがよくわかっているし ちゃんとできている 救いがわかって いろいろなことに感謝しているぞお くらいに考えていた。 しかし 現実は 家事をやっていて疲れてくると 愚痴や不平不満の嵐 また 夫や娘が仕事でいないときは 誰もいな…

会員以外にも公開

自力だった

「おらは助からぬと決定したら 阿弥陀様は必ず助けると決定なされました。」 と告白した妙好人の庄松さんについて 考えているとき、 ふと次のような思いが浮かんだ。 仏心があるとわかって すごく喜んだのだが、 それは自力の道具が見つかったと 喜んだだけではなかったのだろうか。 仏心という道具を使えば いい人間になれる、楽になれるという 期待感万歳だったのだ。 以前宗教の先生にいわれていたこと …

会員以外にも公開

トラクター壊れた!!

今日で最後の田んぼの耕作と種まき 最後の最後 鋤き始めて終わりになるころ トラクターが動かなくなった エンジンは動いているが トラクター本体とロータリーをつなぐ金具が壊れた あと少しの所で仕事が進まなくなった 田んぼの中で立ち往生 トラクターの修理の知識や技術など 全くない さあどうしよう?! 修理屋さんに来てもらうのは良いけど かなりの修理代を請求されそうだ まず壊れた部分をよ…

会員以外にも公開

迷いは深く、道は暗い (自分のためのメモ)

人間関係が築けない、すぐ人と競争してしまいその相手と張り合ってしまう。そして喧嘩、あるいは離別。そしてそのようなことを繰り返す自分に、自己卑下という結論。このループに何十年と苦しんでいる方がいる。 ボクも相談されアドバイスさせてもらったが、根本的なところが理解できない。あるいは理解しようとしない。その頑迷さに、しつこく染み付いたクセというものを感じる。迷いの中にいる人特有の頑固さというものは、…

会員以外にも公開

差別(分別)から抜け出そうとすること自体が分別なのではないか

苦しみから抜け出したくて キリスト教をはじめ成功哲学や心理学、 心理療法などありとあらゆることをやってきた。 そして 最後に行き着いたのが仏教だ。 これこそが 自分を苦しみから救い出してくれる教えだと 熱心に学んできた。 10年余り考えてたどり着いたのは、 「悟りの境地とは無分別」ということ。 無分別やそれとは逆の分別というのは 禅の言葉なのだが、前に日記で書いた 快適を求め不快を避ける…

会員以外にも公開

修行によって立派な人間になることについて

思うところがあって日記をもう一つ。 先月参加した ヨガサンスクリット勉強会に もう足を運ぶことはないだろうと書いたのだが、 じつのところ、 その時には、 なぜ足を運ばないかの理由について、 なんとなく なにか方向性が違う・・ と思っただけで、 ちゃんとした説明が出来ないままいた。 その勉強会の主旨は次のようなものだ。 仏教でいう煩悩のようなものが ヨガにおいても説かれていて、 勉強…

会員以外にも公開

敬虔であること (自分のためのメモ)

宗教的な境地が煮詰まったその地点において、人にはおのずと敬虔な態度が現れるものだと信じている。真宗的な言葉でいうのならば、それは他力になりきった地点を指す。キリスト教でいうなら、それはヨブ記の最終末で語られるヨブの言葉に現れている。 『無知をもって神のはかりごとをおおうこの者はだれか。』 それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、みずから知らない、測り難い事を述べました。     ヨ…

会員以外にも公開

自力の信仰

(自分の勝手な解釈なのでご了承ください***) 「死や病気の苦しみから逃れるために 神や仏を信じています」 こういう理由で神仏を信じるという人が 多いのではないか。 以前の自分もそうだった。 しかし、この神はほんとうに 死や病気から私たちを救ってくれるのだろうか? 一見何も問題がなさそうに見える こうした信仰や信心には、 大きな問題が潜んでいる。 それは 自分の力に頼る宗教だとい…

会員以外にも公開

なぜ気を持たせたいのか

連日の嫉妬騒ぎで、 ほとほと疲れてしまって、 「気が持たないなあ・・」 と思わずつぶやいてしまったとき 私の中からある声が聞こえた。 (実際聞こえたのではなく、 そういう感じが起きたということですが) 「気が持たないままでいいじゃないか」 「なぜ気を持たせたいのか?」 私はすかさずその声に礼拝した。 気を持たせたかったのは、 嫌な気分を排除して いい気分を求める思いからだった…

会員以外にも公開

心理学を学びたかったのは

生きずらさからの解放。 振り返るとさまざまなことが この解決のために行われている。 キリスト教の門をたたいたのも 大学進学もそうだった。 私が出たのは地元の教育学部だったが 別に教師になりたいわけではなかった。 学科は「教育心理」を選んだ。 そこに進んだのは 「心理学」が学べると思ったからだ。 心の事なら心理学だろう・・ と拙い頭で考えたのだ。 教育心理なので私が望むものとは全然違ってい…

会員以外にも公開

そんなことやってどうする?

テック・ナット・ハン氏の本は 無常を理解するのにとても役に立つので、 ここ最近ずっと読んでいたのだが、 ある個所を読んだとき、違和感が・・。 ハン氏はマインドフルネスという禅の提唱者なので、 実践の勧めがそこかしこに記載してある。 無常の詩的な表現には心打たれたのだが、 この実践の勧めの箇所を読んだとき、 私は思わず本を閉じてしまった。 悟りに至るための訓練や修練といったものを どうしても受…

会員以外にも公開

心理学の限界

私は依存心が強くてすぐに人に依存してしまう。 競争心とともに、 私にとって生きずらさの元凶にもなっている。 自分を知るためにと最近、 加藤諦三氏の本を読んでいた。 久しぶりの心理学、 目が覚めるような記述の数々。 まるで自分のために 書いてくださったのではないかと思われるほど、 自分の状況にぴったりくる。 依存心が起きるのは、 家庭環境における 幼少期からの愛情飢餓が原因であるとの説明が …

会員以外にも公開

信念を持って言っていい

「自力によっては救われない」 親鸞聖人もイエスさまも言っているこのことについて、 私はわかったようなわからないような感じでいた。 自分は本当にはわかってはいない、 実感してはいない、 頭での知識しか持っていない、 これが、 私の本当の姿だと思っていた。 でも・・ いや待てよ。 私は自力をやってきたんじゃないかな? という思いがふと浮かんできた。 この5,6年 生きずらさから這い…

会員以外にも公開

出口無し (自分のためのメモ)

「煩悩をなくそう、いや、なくなるはずだとする道徳の道は、 人間に対する理解が甘いといわなければなりません。 それは自分の体を持ち上げようとするようなもので、 人間に不可能を強いることではないでしょうか。」     竹下哲『いのちに出会う旅』より ここに述べられたことが、道徳と宗教を分かつ分岐点 になっているように思える。 道徳は、善というものを想定し、その善なるものに 近づこうと努力する。…

会員以外にも公開

自力による反省は本物か (自分のためのメモ)

親鸞さんの言葉がある。 「自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、 わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」                   『一念多念文意』 四つじ亮さんによる解説では、 「・・・自分の悪いこころを反省したり、悪いところをやめようとして、だんだん正しい自分を築こうとします。しかし、反省は、反省する自分は間違いないとたのむことを前提にしています。そ…