近所の酒造家

富田は江戸時代前期に商工業基盤や後背地の良質な米作、台地の地下水を利用して、寺内町から酒造りの町へ発展した。
最盛期の明暦頃(1655~58年)には、24軒の酒造家が軒を連ね約8000石(米高)を超える酒造高を誇っていた。しかし、酒造制限令や伊丹、灘の発展で生産量は減少し、幕末では約6件となった。
現在は2軒の酒造家が伝統の製法を受け継いで、地酒の味を守り伝えている。

ここの酒造家は、江戸時代に江戸にまで名前の知られた紅屋の流れを汲む店で、酒蔵の入り口には、杉玉とヒイラギとイワシの節分のお飾りが下がっている。

近所の三輪神社には、紅屋が寄進したという