麒麟がくるⅩ「光秀首塚」7日9:16分・・・東山区梅宮町

山崎の戦いで敗れた光秀は、山科の小栗栖の竹藪で地元の農民に襲われて重傷を負い、自害して家臣に首を討たせたと言われています。光秀の首は、家臣によって隠されたといわれますが、兼見卿記によると光秀の首は15日までに発見され、18日から粟田口で重臣らの首とともに晒された。数日後の22・23日には近くに埋め、塚を築いたことも記されています。実際、「雍州府志」や「都名所図会」など、江戸時代の京都について記した地誌類には、その塚が蹴上付近にあり、三条通北側の人家の裏にあると記されています。多くの書物に記されていることから、当時よく知られた名所であったことがうかがえます