首都高の高樹町出入口の下を歩いていると、太陽の光が強いので、くらくらしてきた。冬の柔らかい日差しが、夏を思わせる強さに変るときにいつも感ずる眩暈に似た症状だ。
子規の「生き残る骨身に夏の粥寒し」が口をついて出る。
明治29年の作。このころの子規は臥床の日が続いた。子規が亡くなったのは、明治35年。この句から6年ののちだ。
子規の旧居訪問日記はここです。
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子規の墓を訪問した日記はここです。
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