「墓」の日記一覧

会員以外にも公開

五代目 古今亭志ん生の墓…還国寺(文京区)へ行きました!

墓は地下鉄、江戸川橋駅を出てすぐの還国寺にある。 駅から神田川を渡り音羽通りを鳩山会館方面に行き、右折。大日坂下交差点の手前が還国寺。 関連記事≫≫ 文京区向丘にある立川談志の墓訪問記録はここ。 http://hamidashirakuen.blog.fc2.com/blog-entry-5643.html 本堂の左に「美濃部家之墓」があり、酒がそなえてあった。 志ん生は…

会員以外にも公開

☆この場所で間違いないとほぼほぼ信じ込まれて現在に至る【秀頼・淀殿自刃の地碑】

大阪城本丸北側に拡がる「山里丸」秀吉存命の頃から豊臣家の隠れ座敷的な色合いがあったようだ いよいよとなった時に淀殿が逃げ込んだのがここだと推測するのが自然な流れである 欠かさず生花が供えられているようで大阪における淀殿の存在感が測られる 内堀にかかる「極楽橋」を渡り少し上がった場所が「山里丸」となる

会員以外にも公開

☆よく意味を把握しないまま立ち寄るも入山叶わず【安養寺】

近松門左衛門の名作「心中天の網島」で主役を張るおさんの墓があるとマップで知る 興味深く前まで来てみたが残念ながら入れず 正面からの撮影だけ終えたら次なるスポットを目指す 寺院の関連は境内にすら入れないとこが多くて町歩きとしては困り果てる ◎大阪メトロ「岸里駅」からが便利にアクセス可能だ

会員以外にも公開

墓とコミュ

墓と言っても世界ではその考え方は様々で、例えばチベットなど鳥葬というつまり死者をワシに食べさせるという葬儀があるわけでそれぞれの国、コミュニティでの葬儀の考え方は違うだけに当然それに墓も関係するわけだ。 現代日本では一応墓というものを持つという事が基本的な考え方ではあるけれども近年その墓の持ち方に変化が出て来た。 過去、それこそ墓は、先祖代々の墓は家長が守り続いて行くというものが固定…

会員以外にも公開

先日、法事が有った。 問われた「死んだらどこの墓に入りたいのか?」 「その様な事は生き残った人が決める事だろう、死んで行く人が決める事ではない」 「電車の中に置き忘れてもイイぞ」 困った顔をしていた。 後で考えた最近の電車は長距離で終点が埼玉とか栃木が多い 知らない街の忘れ物置き場も気持ちが悪いどうせなれ県下行きにしてもらいたい。 芦ノ湖の遊覧船がいいかなぁ

会員以外にも公開

☆昭和の侍と呼ばれ日本国憲法成立に携わった白州次郎ここに眠る【白州家墓地】

吉田茂首相の側近として戦後日本の復興を支えた白州次郎そのルーツは兵庫県三田市にあった 三田藩に代々仕えて来た家系が白州家と言うわけだ 政治の表舞台から退いたあとは東京都内に住み続けたがこの世を去ったのちルーツである三田の地で永遠の眠りについた 三田藩主九鬼家の菩提寺でもある心月院の九鬼家墓所に寄り添うようにして白州次郎一族の墓が有った 飾りたてるのが嫌いな性分からか戒名は付けず墓碑も…

会員以外にも公開

☆芸能人及び文人の墓多数目玉は芭蕉の供養墓【円成院】

松屋町筋沿いにお寺が密集していた マップのお勧めは円成院、芭蕉との関係が深いお寺さんらしい つぶさに探したが供養墓はこれで正解なんやろかね? 聞く人見当たらずアバウトな撮影になっちまった 江戸時代を代表する有名人のお墓が林立(そう言いながらも知らないお名前ばかり)して目を見張る光景がそこにはあった 静かに散策していると外見だけでも歴史愛好家に見えるかな?

会員以外にも公開

☆関ヶ原で名を上げた西軍軍師の墓がなんと十三に!【島左近の墓】

島左近は戦いの前に二人の娘を知人の元に隠した それが幸いして血筋は守られ子孫の手により墓が立てられたようだ 島家の墓が一番デカイ墓碑そして次の大きさのが孫に当たる島道悦の墓となる 五輪塔が島左近の物になるが専門家によると供養塔という扱いが正解であるらしい 幕府からどのようにして墓が護られて来たのかさてさて色々な問題があったことだろう 大阪方から見れば島左近はまさに英雄、子孫がいたこ…

会員以外にも公開

☆個性溢れる戦国武将の墓は見逃したなら悔い残る【松永久秀墓所】

信貴山城にて織田軍に敗れ自害した久秀の墓がこんな場所にあるんやね 「松永弾正久秀墓」との銘文は風化によりまったく読み取れない あれほど重要な役割を果たした武将だが敗者ゆえの墓の素朴さ 王寺町の「達磨寺」内に存在を許されただけでもラッキーだと言えばいいのかどうか

会員以外にも公開

立川談志の墓、浄心寺(文京区向丘)

談志は「まくら」のうまい落語家でした。 特に権力者に対する皮肉が効いています。床屋の話も多かったですね。 この日記を書きながら、ワタシが考えた「まくら」は……、 「菅前首相とスターリンとの違いは?」 「菅前首相は事前に質問内容を集めた。スターリンは自分に質問する記者を集めた。」 もし演ってくれたら……淡々とした口調で、腕を組み、じろっと客席を見渡すのかな。 11月21日は談志の命日。 談志…

会員以外にも公開

☆墓碑銘記さずこっそりひっそり現代に受け継がれ現存【淀殿の墓】

大阪梅田にある太融寺それも隅に隠れるようにして淀殿の墓があった 元は別の場所に在ったものを明治になってこの地に移設されたそうだ 表示板が無かったなら誰の墓なのか判別不能これは徳川の目から逃れるため仕方なかったんやろね 思いもよらない場所で貴重な史跡と出会えてちょっぴり感動した編ですわぁ これもまた町歩きならではのサプライズそのもの常に町に出る私の姿勢は正解です

会員以外にも公開

墓マイラー

過日ラジオ放送で、ふと耳にしたことあり、興味あったのでメモをした。 「墓マイラー」カジポン・マルコ・斬月という人で著書もある。アナウンサーとの対談形式で、世界的に墓巡礼をしている人。その内容がユニークな人で、これ面白い!と思った。 歴史的ン人物や著名人の墓地を巡って、個人の足跡に思いをはせることで、この人が名付けた「墓マイラー」の言葉とのこと。 従来私はこの様に墓を訪ねるのは、「掃苔録」とし…

会員以外にも公開

阿久悠、坂本九、ソニー盛田の【墓】「長谷寺」(西麻布)

首都高の高樹町出入口の下を歩いていると、太陽の光が強いので、くらくらしてきた。冬の柔らかい日差しが、夏を思わせる強さに変るときにいつも感ずる眩暈に似た症状だ。 子規の「生き残る骨身に夏の粥寒し」が口をついて出る。 明治29年の作。このころの子規は臥床の日が続いた。子規が亡くなったのは、明治35年。この句から6年ののちだ。 子規の旧居訪問日記はここです。 http://hamidashirak…

会員以外にも公開

こんなのアリ

道路脇に墓の密集地があった。 まるて丸の内ビル群の様に感じた。 余りに不思議だったのでよく見たら「古墳の案内板」があった。 古墳の上に墓作ってる(´⊙ω⊙`)!? こんなの初めて見た!!