江戸三十三観音霊場巡り 港区芝周辺2 第28番金地院

豊臣家の滅亡のきっかけとなった方広寺の梵鐘銘文事件。真相は違うらしいが、俗説に金地院崇伝はその黒幕と言われ、陰湿な智謀が庶民に嫌われた。対する天海僧正は大人気。
崇伝が初代となる金地院はもともと江戸城内に創設されたが、寛永期に現在の場所に移転している。

当時は隣接する東京タワーの土地も金地院の境内だったそうだ。東京大空襲で堂宇をすべて焼失し、現在は禅宗(南禅寺派)とは思えない超モダンな建築となっている。(写真左)

本堂の前を墓域に進むと、石の扉を持つ、立派な墓石群が現れた。南部の七戸藩の所縁らしい。管理が行き届かず、荒れている。写真の背景、オレンジ色