竹スの修理

縄文時代の遺跡から、蕎麦の花粉が見付かっているそうだ。
昔は、蕎麦粥や蕎麦掻きなどで、食べられていたらしい。
庶民が、麺として食べるようになったのは、元禄年間からだという。
蕎麦切りと呼ばれていたが、今では、蕎麦と言えば蕎麦切りのことを指すようになった。

当初は、今のように茹でるのではなく、蒸籠(せいろ)で蒸して、そのまま供していた。
その名残で、今でも蒸籠を蕎麦の器として使っている。
蒸籠には底がないので、蕎麦を盛ったまま積み重ねられるから、出前には重宝だ。
ところが、食べるときにテーブルが濡れるので、今では皿と竹スの組合せが多くなっている。

竹ス