飛鳥山から日米友好を訴えた   !

飛鳥山は江戸時代、8代将軍吉宗が江戸庶民の憩いの場として、桜の木を植えたことから庶民が集まり、以後、桜の名所として知られるようなる。

最も近くには江戸の植木を扱う染井があり、飛鳥山は桜を植える対象には適した場所だったのかも知れない。そんな庶民の憩いの場の一角に渋沢栄一は邸宅を建てた事の対比、庶民と資産家という、身分違いの構図に渋沢の違う一面を見てしまう。

来年は一万円札の顔として、日常的に顔を見る事になる。晩年の渋沢栄一は日米友好に積極的でお互いに人形を交換する等の行事など、友好推進の中で米国内の排斥感情と排日に対して強い不信感を抱くようになる。