自分が生きているんじゃなかった

お気に入りさんがいのちのあり様
自分の成り立ちについて綴ってくださった。

泡はあるとき生まれ、
海上に漂い、
しばらくしたのち破裂して元の海に戻る。

という趣旨。

それを読んだとき見方が逆転した。

阿弥陀を信じている
お任せしている
包まれている感じがする

など

これまで書いてきたことは
「自分」がいて
この自分が考えたり感じたりしていることだ。

自分が生きているんじゃない。
いのちが自分となって生きているのだ。

病老死を任せる・・
任せるなどと思っているのは頭の一部であって

本来は
そういう風に進んでいるところに載せられている。
嫌だ