ただ生きるというだけ

いのちが自分となって生きている

というのが本来のあり様だ。

宗教とか人生の課題などについて、
いままで考えてきたことはすべて
自分が生きている
自分が主体となっているところからの発想だ。

その構図が逆転した。

いのちが自分となって生きている
などと言うと
なにかおとぎ話を聞いているような感じがするが、
それは、あまりにも自我が強大になって
物の見方がゆがめられてしまったためだ。

自我が強大化した私たちは
自分が生きているような錯覚に陥っているが、
体のあり方を考えれば
それが間違いだといことは一目瞭然だ。

心臓が動いているのをはじめ、
消化活