※PC版「趣味人」がとても使いづらくなった印象を受けています。今までは表紙から調べたい頁がすぐに閲覧できたのに、今はクリックを重ねないと辿り着けません。個人的にそれより困るのは「日記」が際立って表示されてしまうことで、私のような偏屈な思弁家にとっては投稿にも勇気が必要になります。運営者に改善を求めましたが、いままでの方式では負荷が大きいということ。無料で使わせていただいているので、それ以上のこと…
自分の死について、 大きな思い違いをしていたので 記しておこうと思う。 どんな間違いかというと・・ 数年というあいだ、 死後どうなるのかという得体の知れない不安があって その解決が先日なされたと書いたのだが、 その解決時には自分としては つぎのように捉えていた感じだ。 生と死の間は境界線のように仕切られていて、 ここまでが生で、ここからが死 のように考えていたの…
【この生死は、すなはち仏の御いのちなり】 道元禅師の「正法眼蔵」の 「生死」の段に書かれている言葉だ。 難しくて途中で読まなくなってしまったのだが、 この言葉は頭のなかにずっと残っていて、 時折思い出していた。 なんとなくしかわからなかったのだけど、 最近、 そうか・・ こういうことだったんだな と合点がいった。 いのちが自分となって生きてい…
死を真正面から考えるうち 自分にある変化が・・ それは 安定感が出て来たということだ。 臭いものに蓋をしていたのを 取り外したような、 宿題があるのにやらないで 遊び惚けている子どもが 宿題に着手できたときのような やるべきことをやっている 考えるべきことを考ている 自信のような そんな感じかもしれない。 そういえば、 と思い出したのが …
楠恭さんのことば・・ 信心の究極は 柱暦のように人間の生まれぬ先から決まっている 生死生滅を通しての宇宙自然の歩みを受け入れ、 それと我々の心の歩みを同じくすることです。 「妙好人を語る」
死なないいのちというと え、そんな馬鹿な? といわれそうだ。 義兄が亡くなったのだってついこの前のことだ。 義兄の心臓は止まり 体は冷たくなって硬直していた。 焼き場で火葬にもしたのだから たしかに死んだはずだ。 死なないいのちなんてあるものかと 思われるのも致し方ない。 では 死なないいのちとは いったいどういうことなのか? いのちというとき よく真宗などでは 「命」と「いのち」…
この世界は 働き通しのいのちが満ち満ちている。 いのちが世界となっているといっていい。 いのちは生きている 永遠に生きている すべてはいのちの現れである。 生と死について考えてみる。 私たちは生と死という 二分した事柄に分けて考えるのだけど、 そうではない。 生といっているところにも死がある。 徐々に死んでいたり 死と生が交互に重なっていたり その時々で配分が異なったり さまざまな形態…
いのちが自分となって生きていると書いた。 このことについて。 私は情緒的に捉えてしまうところが多々あったが、 お気入りさんのコメント返信から 至極科学的なことなのだということを知った。 内容は次の通り。 【泡の中だけが自分である、と考えると、 いろいろな矛盾が出てきてしまうのです。 それに科学的に追求すると、 その考えは、どうやら間違っています。 生命は環境と複雑にやりとりしていて、 その境…
いのちが自分となって生きている というのが本来のあり様だ。 宗教とか人生の課題などについて、 いままで考えてきたことはすべて 自分が生きている 自分が主体となっているところからの発想だ。 その構図が逆転した。 いのちが自分となって生きている などと言うと なにかおとぎ話を聞いているような感じがするが、 それは、あまりにも自我が強大になって 物の見方がゆがめられてしまったためだ。 自我が…
お気に入りさんがいのちのあり様 自分の成り立ちについて綴ってくださった。 泡はあるとき生まれ、 海上に漂い、 しばらくしたのち破裂して元の海に戻る。 という趣旨。 それを読んだとき見方が逆転した。 阿弥陀を信じている お任せしている 包まれている感じがする など これまで書いてきたことは 「自分」がいて この自分が考えたり感じたりしていることだ。 自分が生きているんじゃない。 いの…
生まれたものはかならず死ぬ ある意味宗教というのは それだけなのかもしれない。 それを教えているだけだ。 それじゃあ嫌だということで 私たちは 抵抗したり 意味をつけたり 充実感を味わおうとする。 でも、 生命という側からしたら、 生まれたものは ある期間生きて朽ちて死んでいく。 ただそれだけのこと。 先日飼い猫が亡くなったのだが、 元気な時には ほかの猫とバトルしたり…
なぜ命が生み出されたのだろう。 それは誰にもわからない。 ただこれだけは言える。 生きることはいい事だ。 絶対的にいいことだ。 命を作り出した何者かがいるとしたら、 いい事だから味わわせようと思って つくり出したのかもしれないな・・ 東爺さんという90才の妙好人の方は 寝たきりになってしまって、 リウマチの痛みに苛まれていたのだけど、 その痛みさえも有難いと言っていたという。 死ん…
本年度の読書会では、楠恭氏「妙好人を語る」を読み進めている。楠木氏は、禅の鈴木大拙師に師事した方である。そして主に浄土真宗の教えにかかわる著書などがある。宗派は異なるけれど、「指し示すところ」は同じであるという考えのもとだろう。自分自身も同様な考え方でみている。 妙好人を語るという書名ではあるが、内容は濃厚に宗教の本質、つまり信心とは何かについて語られていて名著だと思う。 内容は、妙好人の各論…