「生死」の日記一覧

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あの人は今?

何年ぶりかに投稿する「森オヤジ」の日記です。 この土日で熊野の「小船梅林キャンプ場」にて、車泊旅倶楽部のオフ会が開催され、5年振りくらいに「久米仙人さん」にお会いして、ただならぬ噂を聞いたのです。 それも「森オヤジさん」亡くなったらしいよ?との事! 根も葉もない噂です。(^^;)まぁ心臓を悪くし、尿管結石や、腸閉塞などを患い、趣味のスキーや渓流釣りはもう出来なくなりましたが、近場のドライブ…

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『殺意』④

小夜子は白分のバス代だけを残して あとの五千七百円を 佐多に持たせた。 そして佐多を 下田行きの直通バスに乗せた。 乗るまでひとことも言わなかったがバスが滑りだすまで 曇った窓を通して小夜子を追っていた。 バスが出てしまうと 小夜子は駅の裏手の郊外の方へと 歩いて行った。 写貞が新聞にでるくらいだから 白分が佐多と一緒に逃 げたことも判っているに違いない。 新聞受けに留守のような細工…

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健康に生きる

昨年10月に心筋梗塞で救急搬送され、心停止になるも電気ショックや心臓マッサージで生き返る事ができました😊。 写真は電気ショックの跡。 今年は、自分の為にも家族の為にも、再発しないように自分の体をいたわり、そして楽しんで生きたいと思っています。

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従容として死を迎える(仏教は「死」をどう考えるか 2)

※PC版「趣味人」がとても使いづらくなった印象を受けています。今までは表紙から調べたい頁がすぐに閲覧できたのに、今はクリックを重ねないと辿り着けません。個人的にそれより困るのは「日記」が際立って表示されてしまうことで、私のような偏屈な思弁家にとっては投稿にも勇気が必要になります。運営者に改善を求めましたが、いままでの方式では負荷が大きいということ。無料で使わせていただいているので、それ以上のこと…

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生きながら死んでいる

自分の死について、 大きな思い違いをしていたので 記しておこうと思う。 どんな間違いかというと・・ 数年というあいだ、 死後どうなるのかという得体の知れない不安があって その解決が先日なされたと書いたのだが、 その解決時には自分としては つぎのように捉えていた感じだ。 生と死の間は境界線のように仕切られていて、 ここまでが生で、ここからが死 のように考えていたの…

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この生死は、すなはち仏の御いのちなり

【この生死は、すなはち仏の御いのちなり】 道元禅師の「正法眼蔵」の 「生死」の段に書かれている言葉だ。 難しくて途中で読まなくなってしまったのだが、 この言葉は頭のなかにずっと残っていて、 時折思い出していた。 なんとなくしかわからなかったのだけど、 最近、 そうか・・ こういうことだったんだな と合点がいった。 いのちが自分となって生きてい…

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安定感が出てきた。

死を真正面から考えるうち 自分にある変化が・・ それは 安定感が出て来たということだ。 臭いものに蓋をしていたのを 取り外したような、 宿題があるのにやらないで 遊び惚けている子どもが 宿題に着手できたときのような やるべきことをやっている 考えるべきことを考ている 自信のような そんな感じかもしれない。 そういえば、 と思い出したのが …

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信心の究極

楠恭さんのことば・・ 信心の究極は 柱暦のように人間の生まれぬ先から決まっている 生死生滅を通しての宇宙自然の歩みを受け入れ、 それと我々の心の歩みを同じくすることです。              「妙好人を語る」

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その不安がずるずる行く

人の生死は、潮の満ち引きが大きく影響されるらしい。季節の変わり目は、体の変調を訴える人が多い。それは人の死にも影響するということ。 昨夜は一晩でお二人が亡くなった。86歳と95歳、どちらも女性。終末期の病院においては珍しいことではない。地球上で一日に何人が生まれ死んでいくのか知らないが、これを仕事としている現場は日常である。 先日読んだ本の中に興味深い文章があった。 『治すことしか考えない…

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死なないいのち

死なないいのちというと え、そんな馬鹿な? といわれそうだ。 義兄が亡くなったのだってついこの前のことだ。 義兄の心臓は止まり 体は冷たくなって硬直していた。 焼き場で火葬にもしたのだから たしかに死んだはずだ。 死なないいのちなんてあるものかと 思われるのも致し方ない。 では 死なないいのちとは いったいどういうことなのか? いのちというとき よく真宗などでは 「命」と「いのち」…

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死は一つの形態

この世界は 働き通しのいのちが満ち満ちている。 いのちが世界となっているといっていい。 いのちは生きている 永遠に生きている すべてはいのちの現れである。 生と死について考えてみる。 私たちは生と死という 二分した事柄に分けて考えるのだけど、 そうではない。 生といっているところにも死がある。 徐々に死んでいたり 死と生が交互に重なっていたり その時々で配分が異なったり さまざまな形態…

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科学的な見方だった

いのちが自分となって生きていると書いた。 このことについて。 私は情緒的に捉えてしまうところが多々あったが、 お気入りさんのコメント返信から 至極科学的なことなのだということを知った。 内容は次の通り。 【泡の中だけが自分である、と考えると、 いろいろな矛盾が出てきてしまうのです。 それに科学的に追求すると、 その考えは、どうやら間違っています。 生命は環境と複雑にやりとりしていて、 その境…

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ただ生きるというだけ

いのちが自分となって生きている というのが本来のあり様だ。 宗教とか人生の課題などについて、 いままで考えてきたことはすべて 自分が生きている 自分が主体となっているところからの発想だ。 その構図が逆転した。 いのちが自分となって生きている などと言うと なにかおとぎ話を聞いているような感じがするが、 それは、あまりにも自我が強大になって 物の見方がゆがめられてしまったためだ。 自我が…

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自分が生きているんじゃなかった

お気に入りさんがいのちのあり様 自分の成り立ちについて綴ってくださった。 泡はあるとき生まれ、 海上に漂い、 しばらくしたのち破裂して元の海に戻る。 という趣旨。 それを読んだとき見方が逆転した。 阿弥陀を信じている お任せしている 包まれている感じがする など これまで書いてきたことは 「自分」がいて この自分が考えたり感じたりしていることだ。 自分が生きているんじゃない。 いの…

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ただ生きて死んでいくだけ

生まれたものはかならず死ぬ ある意味宗教というのは それだけなのかもしれない。 それを教えているだけだ。 それじゃあ嫌だということで 私たちは 抵抗したり 意味をつけたり 充実感を味わおうとする。 でも、 生命という側からしたら、 生まれたものは ある期間生きて朽ちて死んでいく。 ただそれだけのこと。 先日飼い猫が亡くなったのだが、 元気な時には ほかの猫とバトルしたり…

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すべてが有難い

なぜ命が生み出されたのだろう。 それは誰にもわからない。 ただこれだけは言える。 生きることはいい事だ。 絶対的にいいことだ。 命を作り出した何者かがいるとしたら、 いい事だから味わわせようと思って つくり出したのかもしれないな・・ 東爺さんという90才の妙好人の方は 寝たきりになってしまって、 リウマチの痛みに苛まれていたのだけど、 その痛みさえも有難いと言っていたという。 死ん…

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「生死一体」のいのちと「生一つ」のいのち (自分のためのメモ)

本年度の読書会では、楠恭氏「妙好人を語る」を読み進めている。楠木氏は、禅の鈴木大拙師に師事した方である。そして主に浄土真宗の教えにかかわる著書などがある。宗派は異なるけれど、「指し示すところ」は同じであるという考えのもとだろう。自分自身も同様な考え方でみている。 妙好人を語るという書名ではあるが、内容は濃厚に宗教の本質、つまり信心とは何かについて語られていて名著だと思う。 内容は、妙好人の各論…