大きないのちがわかることと阿弥陀への信心は相入れないのではないか

浄土真宗の教えによると

阿弥陀を信じることが大切だということだ。
死んだあとどうなるかわからない
ただ、浄土へ連れて行ってあげるよという
阿弥陀の約束を信じることが信心であり
それをもって往生ということだ。

ここで一つ疑問が湧いてくる。

私は自分のあり様について次のように考えている。
確固たる自分はなくて
刻一刻と変わっていく自分がいるだけということ。
無常であるがその背後に
生まれさせ生かして死なせていくはたらき、
智慧やエネルギーがある。

個人としては死ぬけれども
全体としては死なないいのちがあるということだ。

自分としては
これをもって死