「他力」の日記一覧

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大事なのは、自分は自分以外のものによって営まれているとわかること

縁起だけなのか、 その中に意思のようなものが 存在しているのかどうか、 とウジウジと考えていたのだが、 そんなのどっちでもいいやと思った。 とにかく 自分は自分以外のものによって営まれている とわかることが大切だ。 心臓、血管、 内臓、免疫、微生物 ホメオスタシー、ホルモン、 脳、爪、骨、皮膚、髪の毛etc. ご飯を作るのも、 ご飯を食べるのも、 自転…

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どっちなのだろう

前の日記にて、 嫉妬する自分を阿弥陀が許してくれているのに 自分が許さないと頑張っている構造に気がついて、 自分でも許すことが出来たのだが、 いっぽうで、 こういう考えも浮かんできた。 本来の他力って 思い通りにならない現実があるとき、 思い通りにしたいという欲望を押さえて 思い通りにならない現実に従う ということではなかったか。 嫉妬についていうなら 自分よりも優れた人がいて 皆から評価…

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大きないのちがわかることと阿弥陀への信心は相入れないのではないか

浄土真宗の教えによると 阿弥陀を信じることが大切だということだ。 死んだあとどうなるかわからない ただ、浄土へ連れて行ってあげるよという 阿弥陀の約束を信じることが信心であり それをもって往生ということだ。 ここで一つ疑問が湧いてくる。 私は自分のあり様について次のように考えている。 確固たる自分はなくて 刻一刻と変わっていく自分がいるだけということ。 無常であるがその背後に 生まれさせ生…

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自分の体は神そのもの

なので 自分の身に起きてくる事柄に対して 自意識とか自我の自分は なにも意見することはできない。

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何をやるかではなくどう生きるか

自力とは、 自分でやる努力全般という風に 捉えてしまうところがあった。 その捉え方の逆で 他力とはなんでも任せることで、 自分での努力を放棄して 「あーらくちん」という境地というふうに 捉えていた。 しかし 自力のほんとうの意味は 【自分の都合のいいように 現実を捻じ曲げてみようとすること】だ。 生死一体についていえば、 自分は死ぬ存在だ。 死んだらこの世からいなくなる。 それは今かも…

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この問題は生死を司っている阿弥陀にお任せしよう

生死一体がわからなくて悩んでいたのだが、 ようやくそれに終止符が打たれた。 1週間ほど前 お風呂に浸かっているときのこと。 生死一体がどうしたらわかるのだろうか? 数日前から その問いに取り憑かれたように 考えていたのだが、 (生死一体の問題は7年ほど前から 断続的には考えていた) ふと ある思いが浮かんできた。 自我の殻の中にいる自分が 死についてわかるわけがない と。 自分はい…

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頑張ってイキイキとさせる必要はもうない

若くて明るく元気にイキイキと・・ という風潮が世間に蔓延している。 社会全体の命題や物差しといってもいい。 それらは 人生に意味をつけたいというものと隣り合わせだ。 なぜ意味をつけなければいけないのかというと、 人生が暗く沈んでしまうから。 ネクラはダメ 絶望的になってはならない 奮い立って生きなければならない その行き着く先には病老死がある。 病老死、とくに死は ネクラや不快の極致といっ…

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他力へ

死後のことは自分にはわからない、 自分のマターではない、 という認識に至ったとき、 このことは生きているときにも 言えるのではないかと思った。 いや。 宇宙物理学者の言葉は 生きている世界の事柄なので、 単純に考えれば、 生きている世界のことは自分にはわからない、 自分のマターではないということの方が 先に来るのだろう。 私の場合、逆で、 死後の世界の事は自分にはわからない という…

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お気に入りさんの日記より (自分のためのメモ)

冬場になると、スキースクールのアルバイトに精を出していることもあって、パソコンにむかう時間はかなり減っています。趣味人倶楽部のお気に入りさんの日記のチェックも、スキー場のリフトの上からスマホで覗いています。株式の取引もほとんどが、リフトの上からやっていたり(笑)・・・ お気に入りさんの日記に、他力について書かれていました。内容としてはそのとおりなのだけれど、どうも表現が自分の感覚と合わなくて、…

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足元に転がっていた

ここ最近、 どうすれば神を信じられるか、 自分の信仰姿勢は 合っているのか間違っているのか・・など 迷っていのだが、 お気に入りさんの 「他力」に関する日記を読んで、 そうした迷いが吹っ切れた。 私のこんな悩みや迷いに先立って もうすでに他力は働いているのだったと。 心臓が動いていること。 血が流れていること。 太陽から日光が注がれていること。 食べ物や水や空気が与えられていること。 …

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立ち尽くす明日

私が生まれ故郷の東北から関西に移住してきた 翌年にあの未曽有の「東日本大震災」が起こった。 2011年(平成23年)3月11日のことである。 今年の3月で満9年目を迎える。 奇遇にも新天地であった神戸の街が、「阪神淡路大震災」 という大地震に見舞われてから、今年で25年目を迎えた。 1995年(平成7年)1月17日のことである。 両災害とも、現代の日本人に物理的にも精神的にも 決定的なダメー…

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いづれの行もおよびがたき身なれば(歎異抄) (自分のためのメモ) 

苦行や修行をへて悟りに至る道と比べ、他力の信仰というものは、とても容易いやりかたであるととらえられがちであるけれど、じつはそれは逆になっている。 自力の修行はとてもわかり易い方法ではある。しかし最終地点に近いかというとはるか遠い。ひょっとすると到達することが不可能な道なのかもしれない。 それら自力の努力が絶望に終わり、さらにその先に他力の信仰があるという構図になっているようにも思える。つまり自…

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血圧が130を超えて

高血圧の主人が自己管理のために、 毎朝血圧を測っているので、 自分も、と最近測るようになった。 130、135・・ など130を超える日が続いたので、 うろたえてしまった。 高血圧歴の長い主人曰く。 歳を取れば血管も老化するのだから 仕方ないんだよ。それに、 寒くなれば血管が収縮するので、 血圧が上がるものだ。 そんな言葉にも耳を傾けられない。 ずっと120以下をキープしていて、 そ…

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どんな神かは枝葉末節

神とはこれこれこういうものだ、 ということにとらわれ過ぎていた。 ピカピカ光る阿弥陀や 白装束をきてひげを生やした神は 受け入れがたいとか、 「形もなく」というからには、 阿弥陀はこう捉えるべきだなどと あれこれと考えてきたが、 そんなことはどうでもいい事。 なぜなら 神や阿弥陀がどういうものかなんて、 人間にはわからないからだ。 形がどうのこうのとこだわっているから 宗教対立のような…

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嫉妬からの解放は

自分の周りの世界が他力の世界だ。 その世界はそのままでOKの世界 かくのごとし。 その世界に対して これじゃいやだ、 と反抗するのが煩悩ともいえる。 わたしの 煩悩の最たるものは嫉妬やねたみなのだが、 その構図は次のようなことだ。 なにかの集団にいるとき、 自分よりも優れた人がいるとする。 一番でなければ気が済まない私は、 その人をライバル視するわけだが、 その人が褒められたり、 認めら…