こんな女性がいたとは? 安政の大獄

「安政の大獄」と聞いて一番思いつくことは、吉田松陰の斬罪でしょう。
辞世の句
「親思う 子にまさる親心 けふのおとずれ 何と聞くらん」
この安政の大獄の首謀者は、大老の井伊直弼です。

2011年、京都東山の井伊直弼記念館で、一通の恋文が発見されました。
それは、井伊直弼がまだ20代の頃、5歳年上の「村上たか女」宛に送った恋文でした。
それは、逢えなくなって寂しいという内容の文でした。

村山たか女 1809年~1876年
 たか女は、近江の多賀大社の寺坊、尊勝院の娘でした。

18歳の時、その美貌を買われ、彦根藩家臣で33歳の井伊直亮(なおあき)の侍女