☆水軍の本分忘れずいざの場合に備え訓練怠らず【三田御池】



三重県鳥羽で水軍として名をとどろかせた九鬼水軍そりぁ強かった

徳川の世になっても武勇は知られていたわけだがお家騒動のあげく海の無い兵庫県三田に領地替えをくらってしまった

一説によると幕府にとって水軍力は脅威になっていたようでうまく力を削がせたとも言われている

平和な世の中が続きもう九鬼水軍はお呼びでないみたいな時代にはなったが訓練は続けられていたようだ

三田御池に船を繰り出し操船術の鍛練に励んだと書物に書き残されている

九鬼家は明治維新の世になるまで三田の地の領主として町の発展に尽力した

領民から慕われ続けたお殿様像が三田の町には色濃く刻