それぞれの哀しみ

  喪失のかたちは百人百様である。
死別というかたちで失った人との関係性、互いの間を
流れた時間の長短、哀しみの有り様も含めてどれひとつ
として同じものがないだろう。

 喪失はきわめて個人的な体験である。
他の誰とも真に共有することはできない。

 少し時間が経過している出来事なのだがニ月の終わりに
義息子の嫁の母上が肺がんで死去した。
故人は70代半ば、現代では早い死だとは思うのだが
約一年間の闘病で癌に打ち勝つことはできなかった。

 三月になったばかりの肌寒い日に告別式が執り行われ
高齢の夫に代わり、私が参列した。
こじんまりとした家族葬で参列者