☆小さな事だけどこれも文化遺産にカウントされうるはずだ【毛馬の残念石】


時代は江戸にさかのぼる

徳川による「大阪城」築城にあたり廃城になった「伏見城」の石垣を再利用する手はずとなった

伏見から運搬するにあたり毛馬周辺でかなりな数の石を川に落としてしまったようだ

忘れ去られた存在だったはずが「毛馬閘門」工事の時に次々に発見され引き上げられた

ランダムに並べられた石の数々を誰が名付けたか「残念石」と呼び今日に至る

マイナーな展示物なんでたぶん地元民ですら知らない人が多いはずだ

カテゴリ:アート・文化