越国はAD20年頃出雲の大己貴命が素盞嗚尊の命を受け「越の八口の平定」をしたと伝えられている。
気多神社の「創立の由緒」によると、七尾市所口にある能登生國玉比古神社が本宮と云われ、上世の昔、大己貴尊が出雲より因幡の気多崎に至り、そこから当国へ渡って平定し、その後、所口に鎮祭され、孝元天皇の頃に気多本宮の建立としている。
小生の推定は、大己貴命の越平定域の中心が能登半島である。大海原と平坦な丘陵続くこと、楽園的能登王朝の根拠である。
その期間は、古代律令制の官道・七道駅路の一端・鳳至郡5駅路廃止まであろう。
鳳至郡5駅路は、平城
連載:故郷の南志見城山物語