何かが違う!? そんな違和感を感じるのが、東男の西旅です。
確かに江戸時代は在ったし、直ぐ傍に鎌倉も有るのですが、大いに違う“気風”とも言えるものです。
端的に言うなら武家文化から、公家文化の感覚の相違でしょう。
さらに戦争での焼け野原・・・は、やはり大きいかも。
一度中断されると、そこから先も大変ですし、戻せないものもきっと多い。
さらに都内は、日本中からの流入の雑多がお茶を濁すし、首都としての近代化が益々空を狭くもします。
武家文化は、多少の石垣と大名庭園が残るだけですから。
京都には、目印の高層