みな自己流の世界観の中で生きている

統一教会の問題の話題から
自分のキリスト教への思いなどを認めたが、
そのことに関して今朝がた考えたことがある。

キリスト教のことを話すときには、
洗脳を受けたために地獄の恐怖に脅かされた
とまるで被害者のように語ってしまうのだが、

よくよく考えてみると、
嫌ならそこから抜ければよいのだから
そこに留まっていたのは
自分がそうしたかったからで、
被害者面するのはちょっとお門違いじゃないか
と思った。

また宗教じゃなくても
私たちは社会の風潮や親族や家族のしきたり
師や友人知人や本など
さまざまなものから影響を受け、