「自我」の日記一覧

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今日はどんなストーリーがやってくるのかな?

「自分可愛さ」は自我に備わっている 根本的な性質なのだから、 そこから抜けだすことはできない という事が腑に落ちて 解決を求めて彷徨うことをやめるようになった。 (ような気がする) 実際の場面でどういうことかというと、 嫉妬や嫌な態度を取られたときの怒りなどに関して、 これをなくそう、どうにかしなくちゃと 解決策を講じていたのだが、 それらは「自分可愛さ」から起きることなのだから どうにも…

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大事なのは「自分可愛さからやっているんだな」と思えること

先日、 自分可愛さから逃れる道を模索している旨を 書いたのだが、 師匠の助言のメモ書きを紐解くと、 今回のことに関してちゃんと述べられていた。 以前にも同様のことを考えていて、 その件に関して助言をいただいていたのだ。 メモ書きをそのまま載せてみる。 【まだ煩悩から逃れられると思っているのですか? (往生際がわるい)とのこと。 自分可愛さ、そこからくる怒りから 逃れることなどできないとの…

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相手に対して 常に「自分を敬え」と命じている

なにか嫌なことを言われたり 不快な態度をされたりしたとき、 怒る人と怒らない人がいる。 私は前者なのだが、 なぜ違いが起きるのかというと、 そこには断定がなされていると師匠から教わった。 断定は言葉でなされるという性質を持っているのだが、 その言葉は 「私はバカにされた」 「私はののしられた」 「私は侮られた」 というものだ。 そこには、 私はバカにされるはずはない 侮られるはずは…

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ひとりごと。

天真爛漫に過ごした中学時代が終わり 高校に進もうと いう際にとてもつらい時期がありました。 なんでも児童心理学の分野では16クライシスといって その歳を人生の転換期ととらえて重要視するらしいです。 中年クライシスというのは よく聞きますが それに匹敵 するのが16歳といいます。 振り返れば思い当たることが山のようにあります。 とにかく気だるかった。 うっとうしい。 はやくひとりになりたい。 見…

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生きずらさの原因は完璧主義だった

今回の騒動で 雁字搦めになって、自分の首を絞め、 怒りによって鬱になる という一連を体験した。 こういう道筋をたどるというのが、 自分の習癖のようなものだということが 今回の件で一層明らかになった。 なぜ雁字搦めに陥ってしまうのか? そこにあるのは完璧主義だ。 ''完璧主義は破綻する''ということを 師匠の言葉やお気入りさんの日記などで読んで 理解していたつもりなのだが、 現実の場…

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至道は無難、唯だ揀択を嫌う

禅の三祖僧璨(そうさん)の「信心銘」に 「至道は無難、唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う」 という言葉がある。 以前師匠にこの意味を聞いたことがある。 そのとき自分としては 言葉によって表すところには固定化があるので云々 と考えていたのだが、 そんな複雑なことではない。 「揀択」とはえり好みのことであるとのこと。 ーーよく読むと、 解説にそう書かれていた💦 …

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寂しさに溺れなくなってきた

寂しがりや、人恋し病のようなところがあって、 一人ぼっちになることを考えると、 居ても立ってもいられないところがあったが それが変化しつつある。 今までなら、 娘が家を出ることや夫との死別などを想像すると、 心の奥底からそソワーとした嫌な気分が湧いて 数時間、あるいは数日間ものあいだ、 寂しさに打ちひしがれてしまっていた。 しかし、最近では このようなときには、 す…

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言葉による固定化の弊害

私はよく、以前の自分の人生を 「ドン底人生」と語っていたのだが、 それは間違ったものの見方だということに気がついた、 と先の日記に記した。 10年前のとある一日を取り出してみた時 「どん底」の時間も1時間ぐらい あったのかもしれないが、 お菓子を食べて美味しいと舌鼓を打ったり、 子供とふざけあって笑い転げていたこともある。 こたつでぬくぬくと気持ちよく昼寝をしたときもあ…

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絶望的などん底人生ストーリーの舞台裏が見えてしまった

この日記においても宗教の会合においても、 自分の人生を語ることがよくある。 10年ほど前、自分はどん底だったんですよ。 絶望感でいっぱいで、 死ぬことばかり考えていたんですよ。 師匠初め、さまざまな人の手を借りて いまは立ち直ってハッピーな人生になったのです。 と。 どん底の人生からのサクセスストーリーのような この話をするときには、 なにかドラマのヒロインになっ…

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守る実体などなにもない

嫉妬や人から嫌な態度を取られたときに 起きる怒りが何日も続いて、 生活が滞ってしまうほどなので 苦しんでいたわけだが、 なぜこれほどまでに 激しくなってしまうのかという理由が、 自我が壊れてしまう あるいは 自我を守ろうとしていたからだと ととらえていたところがある。 しかし、 それは大きな間違いであるということに 思いが及んだ。 その自我とはどこに…

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寂しさの正体

夫や娘がいなくなったらどうしよう・・・ という怯えのようなものが以前からあった。 娘はいずれ結婚して家を出ていくだろう。 年上の夫が私より先に亡くなる可能性が大いにある。 悲しみというより 家に一人残されてしまう怯えのようなものが 泥流のように留まって ことあるごとに表面に立ち上っていた。 だれだってそうしたものを 抱きながら暮らしているのだ 一時的な感情の一…

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見下していた

周囲の人を見下すところがあったことに気がついた。 詳しくは言わないが いろいろな場面を考えてみると、 そういうことがうかがえる。 見下す自分は何なのか? 自分のなかにそれはある。 意識の自分といってもいいし 自我の自分といってもいいだろう。 王様か裁判官のようになっている自我自分 (体の自分と区別するためにこう呼ぶことにする) が秤のようなものをもっていて…

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強大な自我が居座っている状態

嫌なことが起きると、胃が痛くなるなど 体の症状になって現れたりしているわけだが、 こういう性質に生まれてきてしまった、 とあたかも病弱に生まれてきた人のようにみる ところがあったが、 とどのつまりは 自我が強大ということだ。 嫌なことが許せない。 その怒りが体の反応となって表れてしまうほど 拒否反応が強いのだ。 心配症のように症の字がつくほど心配なのも、 そ…

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核心部を避けていた

嫌な感情や感覚が起きると 精神交互作用を起こし、 その感覚へ意識が向かうので固着し その人を雁字搦めに苦しめていくということを ずっと考えてきた。 精神交互作用の執着をしないようにするために 不安などの感覚がありながら やるべきことをやっていく。 そうすれば嫌な感覚は自然と流れ去っていく。 この訓練によって ある程度苦しみから解放されるようになってきた。 しかし…

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自分の姿をありのままに観る

不快な出来事に対して 嫌だー 受け入れたくない という思いが湧くわけだが(自我の喚き)、 ヒステリー気質なので その感情は体の症状になって表れることが多い。 もちろん感情のままでいることもあるが。 先月の事だが、 嫌な事柄が起きたとき、 胃の膨満感などで重苦しくなったことがある。 これは 不愉快だという感情が 胃の症状になって表れたものである。 この…

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自分が口を挟むことは一切できない

感覚や感情を受け入れなければ・・ そうしなければ雁字搦めの人生から 解放されることはできない‼ と必死に考えていたのだけど、 そこから解決へは至らないことに気がついた。 きょうの宗教の会での 「仏が自分となっている」 という見方が真実なのですよ という師匠の言葉が決め手だ。 これまでの私は 自分がいて 目の前の状況を受け入れるかどうか 選んでいる状…

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なんと素晴らしい自分、なんと素晴らしい人生なんだろう‼

人と比べて上だの下だのといって 嫉妬や気後ればかりの日々 神様がここにいたなら 警策棒で叩かれることだろう と前の日記に書いた。 (訳けあって限定公開にしましたが) その後 不思議なことが… なんと素晴らしい自分 なんと素晴らしい人生なんだろう‼ と思えるようになった。 絶対肯定の世界観 神様がこういう人生を歩みなさいと 私に与えてくださった…

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死の問題と睡眠問題の根っこは同じ

ずっと死の問題の解決を 考えるともなく考えている。 先日、宗教の会やほかの会合で 年配の方々からその件について聞いたりもした。 そんな折、 西谷啓治さんの 「宗教と非宗教の間」に目を通したのだが、 【生命の根源的なところに 帰らせてくれたということこそ、 青年時代の苦悩が与えてくれた最大の贈りものであった。 私としては、その恩恵を現在でも 保持しているつもり…

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みな自己流の世界観の中で生きている

統一教会の問題の話題から 自分のキリスト教への思いなどを認めたが、 そのことに関して今朝がた考えたことがある。 キリスト教のことを話すときには、 洗脳を受けたために地獄の恐怖に脅かされた とまるで被害者のように語ってしまうのだが、 よくよく考えてみると、 嫌ならそこから抜ければよいのだから そこに留まっていたのは 自分がそうしたかったからで、 被害者面するのはちょっと…