いち という娘。



元文三年十一月二十三日(1738年)の事である。

大阪で、船乗り業の桂屋太郎兵衛というものを、
木津川口で、三日間さらした上、斬罪に処すると
いう高札が立てられた。

市中いたるところ、太郎兵衛の噂でもちきりに
なった。

この予期せぬ出来事を、桂屋へ知らせに来たのは、
ほど遠からぬ、平野町に住んでいる太郎兵衛の、
女房の母であった。

この白髪頭の媼(おうな)の事を、桂屋では平野町の
おばあと言っていた。

おばあとは、桂屋にいる五人の子供に、いつもいい
物をおみやげにと持って来てくれるので名づけた、