不安に対する’’こだわり’’だったのではないか

こんなにも神経質な自分は
死の宣告でも受けようものなら
気が狂ってしまうのではないか、

と不安に駆られていた。

そうならないためにどうすればいいのか?

と断続的ではあるが10年程考えていた感じだ。

先日の日記で
我欲の自分とは違う
冷静に見ているもう一人の自分がいるから安心
と書いたのだが、

もしかすると、こうした姿勢自体が
間違っているのではないかと思うようになった。

そうならないためにはどうすればいいのか?
という考えの背後には
不安なままでいるという事が許せない、
どうしても安心したい自分がいる