九鬼水軍の財力を生かした広大な江戸屋敷が基盤となり、三田藩継続約230年に及び、昭和期の吉田首相外交における主体性をさえた白洲次郎に至る。
三田藩江戸屋敷は、数寄屋橋御門内、神田橋御門内では柳沢出羽守や松平若狭、保科肥後に隣接し、家督の養子7代を鳥取池田藩32万石、柳沢から2代、宇都宮戸田藩、綾部藩3代。
正室で徳島藩25万石から2代、高取藩2代、大村藩2代、日向2代、因幡、播磨、伊代、陸奥・棚倉藩が各1台などだった。
この系図は、明治期も生かされて福沢諭吉、松方正義首相、裏千家など所縁となる。
余談として、江戸の「三田」には多
連載:故郷に馳せる思い