☆当地の井戸水を産湯に使ったのが地名のいわれ【産湯稲荷神社】


神社の入口から入って行くと少しばかりおっかない雰囲気に樹木が茂る

明治の後半まで付近は大阪屈指の桃の産地だったようだが面影は一切消え失せた

鶴橋と上本町の中間辺り千日前筋を少しだけ北に上がった場所だった

もともとあった神社は信長との石山合戦で焼き払われ稲荷神社だけが遺された

カテゴリ:アート・文化