連載:この人生は「四苦八苦」である③

母の優しさを忘れない。

私はハイハイしてる生後半年の頃、蚕に暖をとるため囲炉裏に炭火を焚いている中に転げ落ち左手を大火傷し全機能麻痺になり一生涯生きることになった。

柱に結んでいた帯が長すぎたらしいが私は親を恨んだ。
兄の話だと母は泣きじゃくり抱き抱えていたそうだが打つ手なし左手は癒着し蟹のようになったがそれでもそれなりに成長したが父は私が5歳の時沖縄で戦死し母は7人の子供抱え未亡人になったが小学校に入学し他の生徒から蟹蟹と呼ばれ虐められ喧嘩ばかりしていたが・・・

物心付いた小学3年生の時、母に食ってかかったのです。
(九州天草弁)
母ちゃん僕ばどがんして産ん