安部龍太郎 の 薩摩燃ゆ

★3.3 50石取の側用人から財政改革主任に抜擢された調所笑左衛門の生涯。植松三十里の「富山売薬薩摩組」の関連でこの本を読むことになった。

文政11年(1828年)薩摩藩主・島津斉興の側用人である53歳の調所笑左衛門広郷は藩の財政改革主任に抜擢された。

重豪が文化10年(1813年)に薩摩藩の負債は120万両を、一方的に更始(こうし、債務放棄)を行うと宣言した。娘・茂姫を近衛家の養女として将軍家斉に嫁がせ、岳父としての権勢による浪費、蘭癖大名として高価な輸入品の収集癖による浪費など。藩は77万石、6割は藩士の給米に当てるので残りは30万石、金に換算