『母と桜と私』

『花冷えに

  八重咲桜薄紅(やえざきさくらうすべに)の

            命はかなし 花びら濡らす』

八重垣から知床まで半年かけて桜前線は走る。

私の沖縄では、もう皆が弁当持参で桜を愛でている。

生きていれば 百歳になる母は、かつて

「これが最後の桜ね」

とつぶやきながら 八重咲を眩しそうに見上げていた。

大正、昭和、平成と気丈に生き抜いてきた母だが、
その青春時代は戦争に翻弄された。

戦禍に桜が開花を告げる頃、その長兄は空往く
防人(さきもり)として、ゼロ戦を棺(ひつぎ)に日本海へ
散華(さんげ)した。

その辞世の歌は