「母」の日記一覧

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ネガティブな母

介護まではいかないものの、最近めっきり ヨロヨロしている母。 言動もなんか悲観的で、やだ。 どうしよう? ネットでみてみた。 https://kaigoshoku.mynavi.jp/contents/kaigonomirailab/works/upskilling/senior_06/ む~~、ん~~、なんとも、、(-_-;) それが、なにか分かればなー

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母の誕生日

5月10日は母の95歳の誕生日だ。 5年前、90歳の時に腎臓がんになり、がんだと知らせずに手術をして再発も転移もありません。 そして95歳になる今でもまだまだ元気です。 歳なりの衰えはあるが元気な理由を考えると 1,まず食欲が旺盛である。 味の濃い物、甘い物が好物だ。 2,マイペースで頑固だ。 いうことを聞かないしこだわりが強い。 3,ウナギが元気の元だと信じている。 誕生祝いにウナギを買…

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『母の想い出』

母の日が近いなと思ってたら、明日が母の命日でした。 母は10年前の2014年4月28日、100歳で亡くなりました。 殆んどピンコロの大往生でした。 ぽっぽ、母から愛情いっぱい貰ったけど、何一つ返せず心配と迷惑かけっぱなし。😢 ・・母の想い出、書いておこうと思います。(個人的なことでダラダラ長くなると思うのでスルーしてください。) 母、生まれてから病気らしい病気したことありません。 内臓がメチャ…

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私の父親、私の母親

私には父が居ます。そして、母が居ます。 もう、今は亡くなってしまいましたが。 父は父であって、父ではありません。 母は母であって、母ではありません。 「何を言わんとするのか、」 と、お思いでしょうね。 ああいうのが父であり、母ならば最初から居なければ良かったです。 父には父親が居ませんでした。 正確には居ないも同然だったのです。 母にも母親が居ませんでした。 正しくは居ないも同然だ…

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母の手をひいて🌷

母が88歳米寿となりました。 46歳で未亡人になり、父なき後、義兄弟を独立させ、お姑さんを送り出しています。 膠原病を煩い、血小板1.5μLしかありません。 普通2 μL以下だと、輸血レベルですが、高齢で輸血もリスクが高いので、静かに暮らすしかありません。 コロナ禍を通し、足腰の衰えも急速に進み、外出に自信がなくなったと言います。 そんな母を先日、株主招待バスツアーに連れ出しました。 東京…

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4年・・・

今日、ふと趣味人倶楽部のことを思い出しました。ログインして最後に書いた日記の日付を見たら2020年7月、何と4年近くが経過してました。2020年4月の日記では愛犬が天に上ったことを記録し、2020年7月の最後の日記ではコロナウイルスのことを書きました。実は2020年6月には1ヶ月ほど我が家で癌の療養をしていた義弟が、入院のために故郷に帰って直ぐに亡くなりました。そうして2ヶ月後の2020年8月に…

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亡母を思う。

日本の春。 この季節になると いつも母の声が聞こえる気がする。 ねえ、桜はまだ咲かないの? 癌で闘病中だった母の病室の窓からは、 スカイツリーや高い建物しか見えなかった。 私は、一ヶ月〜三ヶ月おきに、 アムステルダムから東京へ帰国していた。 帰国する度に、 オランダの木靴のキーホルダーを沢山買って母に渡していた。 よくしてくれる看護婦さん達にあげてね。 私は母が亡くなるなんて思ってい…

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母のこと③ 母に伝えられなかった言葉

2度目に入院していた母から「生きている意味あるのかな」とメールが届いたことがあった なんて返していいか悩んだ末に「生きている意味あるよ。元気になってまた遊びに来るの待ってるからね」と返信したように思う 母から「また行けるかな」と返事が来たことに少し安心する私がいた 本当は「もう頑張らなくていいよ」と伝えたかった でもその時の私は『頑張らなくていい=もう生きていなくてもいいよ』になる気がして、…

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母のこと②

秋のある日、医師と会ってきたと言う兄からFAXが届く それは『いつ何が起きてもおかしくないような容態ですよ』という内容のお知らせであった しかしそのお知らせを渡した医師は兄への説明で「今すぐどうこうってことはないと思いますよ」とも言ってくれたらしい その言葉を聞き、少し安心する 母が入院した頃はコロナで面会が制限されている時期であった 母のいた病院は<近県以外の地域から来る人の面会は居住地を出…

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母のこと①

母が他界したのは3年前 血液のガンと闘病したのちだった ガンだと分かったのは8年ほど前になる 夏に体調が悪いと受診するも度重なる検査が繰り返され、正式な診断が下ったのは11月 その時点で既に骨髄に転移しておりステージ4との診断だった すぐに抗ガン剤治療が始まったが、珍しいタイプのガンだったらしく薬が効くかは分からないと私は医師(入院時担当医)に告げられた もしかしたら年は越せないかもしれない…

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圧倒的なごちそう。

中学生の時、夜勤で不在の母に代わり、父が私の 弁当を作ってくれたことがある。 新部員歓迎サイクリングに行くことになったからだ。 朝、起きると既にできていた。 新聞紙と風呂敷に包んであった弁当箱らしきものが テーブルにふたつ。 二段重ねだった。 おおいに期待が膨らんだ。 チラと見ただけで力作と分かったから。 気恥ずかしかったけど私には珍しく面と向かって 「ありがと」と言った。 「俺の好物…

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『母と桜と私』

『花冷えに   八重咲桜薄紅(やえざきさくらうすべに)の             命はかなし 花びら濡らす』 八重垣から知床まで半年かけて桜前線は走る。 私の沖縄では、もう皆が弁当持参で桜を愛でている。 生きていれば 百歳になる母は、かつて 「これが最後の桜ね」 とつぶやきながら 八重咲を眩しそうに見上げていた。 大正、昭和、平成と気丈に生き抜いてきた母だが、 その青春時代は戦…

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『自分との和解』

母は数年前、がんで亡くなった。 母の病状は安定していて痛みも訴えず、看護師さん をはじめ多くの人の献身的ケアのおかげで安らかな 毎日だった。 最期まで意識もしっかりしており、母は死を受け入 れていたと思う。 病室に寝泊まりして付き添っていた私は、このまま 旅立ってくれればと願った。 しかし最後の最後になって激痛を訴え、結局モルヒネ を注射した後亡くなった。 私には、母は最期は苦しむかも…

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ここは田舎のプリンスホテル♪伊予の黄金湯「いよ温泉」へ!

先の拙日記「実家が壊れた~!」に書いたように、急遽1泊2日で愛媛に帰省した。 夜勤明けに出発、戻るや早々、夜勤が入っていたため、往復とも久しぶりに夜行高速バスを利用した。 コロナ前は安いこともあってよく利用していたが、コロナ禍で運行停止。 バスタ新宿から松山まで12時間、寝ている間に着くから便利だ。 久しぶりに乗車すると若い人や外国人が多く、旅行客で活気があった。 愛媛では軽のレンタカーを借り…