「坂本龍馬」の日記一覧

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坂本龍馬

お陰様で描かせていただきました

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11月15日

今日、11月15日は、坂本龍馬の誕生日であり、又命日、暗殺された日です。(旧暦です) 私の座右の銘は、龍馬の  『死ぬときはたとえドブの中でも前のめりに死にたい』 です。 坂本龍馬の功績と言えば、 1,「薩摩藩と長州藩の仲介役として薩長同盟の立役者となったこと」 2,「土佐藩を動かして大政奉還を提言したこと」 3,「明治新政府の基本となった国家構想『船中八策』を提案したこと」…

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竜馬くん お誕生日おめでとう

今日11月15日は 坂本龍馬の誕生日であり命日 河原町の近江屋の石碑の前では慰霊行事が行われた 自分と龍馬の出会いは 21歳の時 当時自分は京都社会人リーグの3部で サッカーをしていて 試合中に危険タックルを 受け複雑骨折し長期入院していた 母親が見舞いに来た時 一冊の本を買ってきて くれた 司馬遼太郎の「峠」と言う歴史小説 当時本など全く読ま無かった自分が…

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五大友厚が北海道開発で不正を行ったとする間違った歴史が教書から消えたそうです。

維新の大阪商業を発展させた、私の尊敬する五大友厚が北海道開発で不正を行ったとする間違った歴史が教書から消えたそうです。 詳しくはこちらから。 https://smcb.jp/diaries/9101133 ところで、坂本龍馬のイロハ丸事件で紀州から10万両を分捕ったのは、龍馬よりも、国際法を実務としてやっていた五大友厚の功績だと私は考えています。勿論、五大友厚を事件解決の仲介人に仕立て…

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長崎、五島列島ツアー 上五島観光 前編

ブッフェスタイルの朝ごはんをいただき、荷物をまとめてチェックアウト。ここからタクシーで港に向かいました。 向かうのは上五島の中通島。高速船で一時間半です。 港には鯨の像、ターミナルには龍馬像。 一瞬ここは高知?と思いましたよ。 午前中はこの島をバスでめぐりました。 龍馬ゆかりの地には、仲間が乗った船が来るのを眺めている像が建っています。ターミナルにあったものと一緒なんだとか。 …

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今日は坂本龍馬の誕生日で命日です

今日11月15日は 坂本龍馬の誕生日であり命日 河原町の近江屋の石碑の前では慰霊行事が行われた 自分と龍馬の出会いは 21歳の時 当時自分は京都社会人リーグの3部で サッカーをしていて 試合中に危険タックルを 受け複雑骨折し長期入院していた 母親が見舞いに来た時 一冊の本を買ってきて くれた 司馬遼太郎の「峠」と言う歴史小説 当時本など全く読ま無かった自分が…

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坂本龍馬的新しい人生

前日の日記にたいするコメントで、「還暦も過ぎたし新しく生まれ変わって残りの人生を愉快に生きようよ♪」と書いてくれたひとがいた。それに僕は強く触発されたのである。 そうだ!僕もこの病気・手術を一つの転機と捉え、今までの自堕落な性格と、スケベばかりの単純発想の頭脳から離れ、生まれ変わらなければならないのだ!! 一念発起して僕は中学の頃から尊敬してやまない坂本龍馬なら、どんな発言をするのだ…

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夢想

選挙が終わって見れば自民党の圧勝でした そうでもないという人もいるけれど 安倍元総理の弔い合戦の影響が かなりあるのではとTVで誰かが言ってました。 自民党は変わるのでしょうかね? 変わって欲しいような 結局何も変わらない気もします。 でも、変わらなければ世界から 置いてけぼりにされると思うのは 私だけでしょうか? 世間では安倍元総理の国葬に反対している人が 多いのだとか・・・。 日本国内…

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日本初の新婚旅行 (2022-5-13)

おはようございます。今日は、日本初の新婚旅行の日なのですね。坂本龍馬が幕末の1866年の、この日、お龍と九州の高千穂の峰に新婚旅行で登ったのですね。当時、高千穂の峰は女人禁制の山、お龍は男装して登ったと。坂本龍馬は寺田屋事件で負傷して、慰安旅行だったのですね。徳川の時代に、脱藩したり、海援隊を結成したり、薩長同盟をつなげたりと。何が龍馬を突き動かしたのですかね。それでは、今日も新たな道を進もう !

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坂本龍馬の猫

骨董市で手に入れた木彫りの招き猫。その背と底には、「天保 霜月」と筆で書いてあります。 坂本龍馬は天保6年11月15日(霜月)に生まれました。龍馬の母親のお幸さんは部類の猫好きで、産気づいた時に猫を抱いていたそうです。 きっと猫好きのお幸さんが、龍馬生誕の記念に作った招き猫に違いありませんね。

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「最後の将軍」・・・司馬遼太郎著

大河ドラマ「青天を衝け」で草彅剛演じる徳川慶喜はどんな人物であったのか? 「竜馬がゆく」では、大政奉還の実現の日、「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」、と描かれている。竜馬が立案し、慶喜が決断した大政奉還。二人は会ったことはないが思う所は同じだったという点で幕末における同志であった。しかし、竜馬は…